行く先を少しでも明るく
これを書き始めた時3月も上旬が過ぎていたが全く気持ちが落ち着かなかった。
進学先の研究室を訪問し、引き継ぐテーマが決まった。
今の研究室に新しく配属される後輩の引き継ぎをした。
その一環でOBと一緒に合成したサンプルの解析をした。上手くいかなかった。
実験の資料やサンプルを整理して、たくさん捨てた。むきだしのままおいてきてしまったノートとたくさんの測定データはもう少し見栄え良くできたはずだ。きっと実験を引き継いだ後輩が見ても意味がわからない部分がたくさんあるだろう。無理に退去を終わらせた感じがして、実はまだ終わっておらず卒業しきっていないような気分になる。すこしのシコリ。
怒涛の日々を過ごしている気がする。
ただ、わたしは根がインドアなので出かける日々があまりにも続くと心のスタミナが切れて来る。回復と称して昼まで寝ていたりする。
スケジュール帳を覗いて空白の日が月末になるまでないことを確認すると思わずため息がこぼれる。
大学院進学をする不安
同期との会話 将来どうなるだろうなどととりとめのないようで人生に関わる話
修士で就職すること 拘束時間の増加 研究者の適正を感じられない自分
ついていけるだろうか
「勤務先と自宅の距離が30分以内だと病みやすい 精神的な疲れを自宅に持ち込んでしまうから」別の研究室の教授の言葉。バイタリティにあふれる人で機器類にも詳しくとても世話になった。
通学時間は1時間半 下宿する人もいる中これは長い方だろう 精神的にも忙しくなるのに前よりも混雑する電車に乗ることを選んだ
卒業式が終わりバイトがない日がまとまって続いた。去年から部屋の隅にあった段ボールたちをようやく目の届かない場所に動かすことができた。
これまで平日は学校土日はバイト 部屋の片づけをまとまってする余裕もなかったのかと複雑な気分だった。
いや、もうこんなまとまった時間を取れる日はしばらく、下手をすれば2年はこないかもしれないという焦りが私を駆り立てているのだろう。
貴重な3月下旬 綺麗になった部屋で心は落ち着くがどこかとらえどころがない。心のスタミナが尽きずにくすぶっている。
心と頭の片隅に済んだ印にたくさんの線を引かれたToDoリストが浮かんでくる。まだ線に引かれていない項目はたくさんある。
行く先を少しでも明るく、できるだろうか。
私は愚かで、きままで、甘く、明確な指標を持っていない。それでもやるしかない。月並みだけどささやかな幸せのため。
ひとつ大きな諦めを
大きな諦めを受け入れた。
骨髄バンクのドナーを断ることになったのだ。
私は2016年の12月下旬、骨髄提供のドナー候補に選ばれたという通知が来た時からやる気で満ちていた。
持病も大病も患ったことのない私が文字通り"身を削って"誰かの役に立てることが嬉しくて仕方がなかった。
コーディネーターの方と面会もして、血液検査もクリアした。ドナーの第一候補になった。
このまま最終同意をしていれば問題なく骨髄を提供していただろう。でも、私は諦めた。
時期が合わなかったからだ。
患者側から希望された骨髄提供の時期は四月下旬か五月下旬だった。
提供には手術の前段階の絶食を含めて丸5日間の入院が必要だった。
タイミングは最悪だった。
4月に大学院入学を控え、配属先の研究室で大まかなテーマが決まり、入学後は毎日授業と研究があることが確定していた。
理系学生の研究生活において一年のハンデは大きい。他の同期はゼミをしたり論文を読んだりして一年間みっちりとテーマに関連する勉強をしているのだ。
それに私は7年もの間通った学校を離れて新しい環境に飛び込む。適応するだけで四苦八苦するだろう。
それでも一縷の望みを託して、進学先の教授に打診をしてみた。教授としては賛同出来ないということだった。
こうなるだろうということは頭の隅ではもちろん理解していた。私は人としての賢さが足りないと常々思っているが、さすがにこれくらいは分かる。
私は自分より他人を優先しすぎるときがある。自分の不利益を胸に押し込んで我慢することを美徳だとするのは間違っているのに、そのような行動をする。教授は入学後の"私"を心配して、賛同出来ないと言ってくれたのだ。
今日、コーディネーターの方に断りの電話を入れた。人生の重要な時期だからという理由で提供を断る人はよくいるとのことだった。
もうドナー候補からは完全に外された。大学院にいる間は忙しいだろうからと、2年間はドナー候補に上がらないようにもしてもらった。仕方ない時期が悪かった、と頭では納得しているつもりだ。
でも顔も名前も知ることの出来ない誰かの身体を、人生を助ける手伝いがしたかった。私でも役に立てるんだと喜びたかった。
多分この諦めは相当長い間引きずることになると思う。それこそ本当に骨髄提供できる日まで燻り続ける気がする。人生の中でもトップ3に入る後悔になるかもしれない。
若くてハキハキと喋るコーディネーターの女の人は、どうかこれからの生活を頑張ってください、と励ましてくれた。
他人の人生ではなく自分の人生に集中することを選んだ今の私は、その言葉に報いなければと改めて感じている。
あみぐるみと3Dモデリング
自己流であみぐるみを作るとき編み図を作ることは滅多にない。
基本的に細編みか長編みしか使わないしいちいち目数を記録するとすぐ集中が途切れてしまうので勢いにまかせて一気に編みあげる。
解いてやり直せることが編み物の最大の利点だと思っているのでトライアンドエラーを繰り返す。
それでも思った形に編めない時はある
パーツが全て出来ても縫い合わせたら思った出来にならなかったこともある。
最近無料の3Dモデリングソフトのblenderを触りはじめた。
編み図がない物を編む時に完成図が3Dモデルとしてあればかなりやりやすいだろうと思ったのだ。
今は初心者向けのサイトで勉強している。
https://i.materialise.co.jp/blog/entry/2662/
まだはじめたばかりで操作も覚えきれていないし精巧なモデルを作れる気はしないが
あみぐるみ作りの補助ツールとして大いに役に立ってくれるだろうと思う。
青を微分した先を見てみたい
短歌を見ていい歌だなあと思うときはあるけれど、ずっと記憶に残っていて何も見なくても思い出せるものってあまりない。たとえ教科書に載るような文豪が作った短歌であっても。そんな中いつまでも強烈に覚えている、というか忘れることができない短歌がこれだ。
問十二、夜空の青を微分せよ。街の明りは無視してもよい
川北 天華
たしか初めて知ったのはツイッター版まとめサイトのTogetterで、かなり注目されたまとめだったと思う。少し調べたところ、京都大学にある京大短歌という研究会の歌会が初出らしい。
なぜこの短歌に衝撃を受けたのだろう。上のリンク中でも素晴らしい解説がされているが、自分の思考をダダ漏れにしてみようと思う。
問十二、とあるからきっと学生だろう。けれど、机にむかって試験をしているようには思えない。この語り手は実際に夜空の下にいて、誰かからこの問いを投げかけられているのだろうか。もしかしたら重要な試験が迫っていて、気分転換にひとりで散歩している最中自分に出した問題なのかもしれない。
夜空の青を微分した先に何があるか。夜空の青が何でできているのか天文学や物理学などを勉強すればどこかにきっと答えはあると思うけど、たぶん正確な答えを知りたいわけじゃない。あまりにも広くて飲み込まれそうな宇宙だからこそ一点を見つめたくなるのかもしれない。この短歌を見たり思い出したりするといつも頭の中で夜空を微分している自分がいるけれど、その時星の姿は浮かばない。宇宙旅行をするわけでもない。ただ漆黒にちかい青の色しか想像することができない。
街の明かり はどうだろう。無視してもよい、という表現。無視しなさいではない。ここからも、試験形式に見えるこの短歌が正確な答えを求めていないことがうかがえる。この明かりは実際の明かりなのか、何かの暗喩なのか。語り手が一人夜空のもとで詠んだものなら、きっとこの明かりはうるさくて邪魔だと感じているのではないか。自分に絡んでいる色んなわずらわしさを抜け出してただ夜空の青に思いを馳せる。
とまあ、いろんな想像ができる。一見問題形式で堅苦しくただ一つの解答を求めさせているようなこの短歌は実際ははとても柔軟で答えの道はないものだった。そのことに気づかされると思考は軽くなり、闇夜の色を想像することで気持ちは落ち着かされている。これからも好きな短歌でありつづけるだろう。
マーセル・セロー『極北』感想
(出来るだけ伏せますが少しネタバレがあります。)
ずっと気になっていた本を読んだ。マーセル・セロー作の長編小説「極北」である。
この本が気になったきっかけは写真家星野道夫だった。
アラスカの地に焦がれ移り住みその地で若くして不運の死を迎えた彼の綴る優しい文章と写真に心惹かれ、自然と「極北」というワードを探すようになっていた。
確か2年ほど前にAmazonで極北に関する本がないかと探していた時にこの本を見つけたのだ。当時の評価は驚きの星5つ。
ハードカバーの小説だったので買うのを躊躇していたら2年も経ってしまった。
昨年6月 大学院入試の帰りに、もう落ちてもいいやどうにでもなれと思いながら大きな本屋を調べ、あればいいなあるかなと思いながら行ったらあった。
これはもう買うしかないと決意しとてつもなく久しぶりにハードカバー小説を買った。
実際はこの物語に登場する”極北”はシベリアであり、星野が拠点としたアラスカではないのは知ってはいたのだが。
- 作者: マーセル・セロー,村上春樹
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2012/04/07
- メディア: ハードカバー
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この小説の翻訳は村上春樹。
あとがきによると原作者であるマーセル・セローの父親であるポール・セロー氏から紹介されて読み、面白いと感じたため訳そうと決めたらしい。
実は村上春樹が書いた長編小説を読んだことがなく、たまにネットでネタにされている印象しかなかったため文章に癖があったらどうしようと思っていたが杞憂だった。
この本は端的に言うと、一人の人間が厳しい極北の世界を生き抜く様を描いた物語である。
かつて多くの人が住んでいたであろう開拓地に一人で暮らす主人公メイクピース。物語は一人称で進む。
警察官として町を巡回する描写では人の指が落ちており、かつて凄惨な戦いがあったことが分かるとともに、メイクピースはタフで戦いなれていることが示される。
人さらいから逃げてきた少女ピングを匿うことになり、しばらく穏やかな生活をしていく二人。
そして訪れる突然のピングの死。この経緯は結局最後まで明かされることがなかった。が、裏を返せば メイクピースが語りたくもないほどのことであるということ で読者は考え得るだけの最悪の想像ができてしまう。あまりにも悲痛な様子のメイクピースをみて私は最悪の想像を放棄した。
その後メイクピースは街を出て旅を始める。旅をしている途中ある集落にたどり着くがそこの支配者によって裏切り者として追い立てられ、奴隷として送り出されることになる。
しかし持ち前の強さと頭の回転の良さからメイクピースはどんどん立場を向上させていき、ついには仮初めではあるが支配者側に立つようになる。
その後も展開は二転三転し、終盤は一気にSF色が強くなる。滅びた高い技術力を持つ文明の名残が描かれる。
最後にメイクピースはかつて共に暮らしたピングと同じになり、
この小説はメイクピースがある人物にあてた手紙の名残であることが明かされて終わる。
非常に骨太なストーリーだが展開は予測できなかった。読み終える瞬間思わず息を大きく吐いたことを憶えている。とても、面白かった。
Perfumeのかわいいとかっこいい
Perfumeが好きだ
かっこいいとかわいいが同時に存在している さらにスタイリッシュのスパイスがかかってる
Perfumeの曲はゴリゴリエレクトロニックサウンドでクールな曲が好き。中田ヤスタカさんの作曲の賜物だけれども、Perfume三人の歌声が好きなのであくまで今はPerfumeファンです。
ポルノグラフィティ主催のBBQフェス2日間に参戦したときにダンスを生で見て、おもわず想いが溢れてずっと叫んでた記憶があります。ウオー!!!とか かわいいぃ〜〜;;;とか
同行者の友人にはポルノグラフィティファンとしか言っておらずPerfumeもとても好きだということを言い忘れていたので内心引いていたかもしれない 友人もかわいいかわいい言ってましたけどね
初期のPerfumeはパラメータをかわいいに多く振っていてそれはそれで好きだけれど、最高なのはカッコいいも表現できることですよね。
最近のダンスサウンドたまんないです。
彼女たちがアイドルとして活動しているならいつか寿命が来てしまうだろうけど、そうなるまえに一度はワンマンライブ行けたらいいなぁと思います。
狙撃に惹かれ
スポーツ射撃に興味がでてきた。
きっかけは漫画『ワールドトリガー』だ、というと身も蓋もない感じがするが、とても面白そうだと思う。
1ヶ月ほど前に京橋のシューティングバーに行き、ワールドトリガーに出てくるものも出てこないものも、たくさんのモデルガンを撃たせてもらった。
店主も楽しい人で、友人と一緒に閉店時間の午前4時まで喋りつつ撃ち、とても良い時間を過ごすことができた。
いろんな形のモデルガンの中でも特に楽しいと感じたのがスナイパー用ライフルで、スコープを覗いて狙いを定め、集中状態で撃つことがとても快感だった。
ワールドトリガーでの最推しキャラは散弾銃使いの諏訪さんで、バーで散弾銃も撃たせてもらったけれども、3分の2はスナイパーライフルを撃っていた。諏訪さんごめん。
そんな中、オリンピックでライフル射撃の種目があることをしり、NHKの配信動画を見ていると、どうしようもなく本物を撃ちたくなってきたのだ。射撃種目はオリンピックで最も参加国の数が多い種目だということも初めて知った。参加者の年齢層も幅広く、40代50代の代表選手もいるという。
私には人を撃ち戦略・連携が必要になるサバゲーよりも、極限の集中のなか一点に狙いを定めるスポーツ射撃の方が面白そうだと感じた。また競技用エアライフルのデザインはモデルガンとは雰囲気が違いスポーツ向けで、そこもカッコいいと思う。(モデルガンももちろんカッコいい、念のため)
ただし日本では競技用エアライフルを撃つためには銃免許が必要になる。そのため簡単に体験することは出来ないが、そのような人のために免許がなくても打てるビームライフルというものがあるらしい。弾は出なくて、的がライフルのビームを検知する仕組みだそうだ。
カルチャーセンターなどで体験教室があるようなので、時間ができたら行ってみようと思っている。
競技である以上対戦相手はいるけれど、常に闘う相手は自分のみであるスポーツ射撃。いつかは分からないが極限の集中の世界に飛び込める日が来ることが楽しみだ。