きままにひく引鉄

理系社会人 広く浅くの体現者

服を買う 着る

気に入った服を買えた

 

白のトップス

前はシンプルでTシャツ生地

シースルーの胸ポケットがついていてそこだけ金色の星のラメ

後ろは全部シースルー 星のラメがキラキラと 星といっても5つの頂点だけじゃなく4つだったり点だったり それが良い

腰より少し長い丈

腕をあげると全体がまるで四角形

暑くなると予報で言われた今日 この服を着ている 中には黒のタンクトップ

気分がいい 背中にキラキラを背負っている 見えないけれどキラキラしているということを認識しているだけで元気が出る

 

 

私は一時期全く服を買うことが出来なくなった この前の秋から冬の間はインナーや靴下も最低限の用途を果たすものしか買えなかった

自分が何を着たいのか 着たら良いのか 分からなくなってしまったのだ

欲しいという気持ちが消えたわけではなかったけれど

どんな服を着ても後ろ指を指されそうで服屋に入っても店員と顔を合わせられなくて一瞬で出てしまっていた

以前はそつなく買うことが出来ていたのに

着てみたいものが浮かんでもすぐに脳内で否定をし、ダメだダメだの大合唱

 

スカート 普段は実験の邪魔になるから着れないじゃん

明るい色 似合わないよ 白くらいなら許容範囲かもね

チェック柄  花柄 とんでもない

フリルが少しでもついてる 無理

甘めのブラウス 柄にもないね

などなど 一体どうしろとといいたくなる脳内

 

冬が終わりに近づいた頃半年ぶりに美容院に行き髪を染めしっかり化粧をした日

3月でこれから暖かくなるというのに真っ黒で厚手の生地で2000円に値下げされた装飾もプリーツも一切ない魔女のようなワンピースを買うことで否定大合唱をくりかえす脳はおとなしくなった

要するに自信がなかったのだった

自分から見て今日は普段より良く見えるかもと思える状態になることでやっと呪縛を取り払えたのだ

 

呪縛が解けた今も忙しくてなかなか服屋に行けない

研究室と家とバイト先のローテーションを繰り返していると良いと思える服を買っても意味が無かったりする

 

金曜日の夜実験を終えた後友人と会うことになり電車で移動するにも待ち時間があったため大きな駅でファッションビルに入って時間を潰すことにした

数年行ってなかった好きな服屋に行った そして気に入った服をためらいなく買うことが出来た 店員さんとお喋りしながら 一緒に悩みながら 今日着ている白のトップスともう一枚黒のカットソーを

 

 

あの頃に比べたら結構元気じゃん自分

よかったね

 

落ち着いてきた

大学院生になりおよそ一月、少しは落ち着いてきたと思う。

 

1年間、新しく与えられたテーマに関する研究をしていない差は大きいし、同期や先輩が通過した学部4年での雑用を負わないでいる罪悪感はある。

それでも皆良い人たちなのでなんとかやっていけそうである。同期は6人いるがクセのない人ばかりで接しやすい。

 

あとは自分の能力をどこまで上げることが出来るかだ。新しい研究室は報告書や報告会がとても多い。正直苦手な部分なのだが克服のチャンスだ。

それに就活も待ってる。

就職活動について今から考えるのは正直しんどい。まだ入学したばかりじゃないか。それでも2年の月日はきっとあっという間なのでやるしかないのだ。

自己分析したくないなぁ。マイナスに落ち込みそう…。

 

父のレコードと音楽

父は若い頃レコードを集める人だった。

ブルースが好きらしく私が聞いてもピンとこないようなアーティスト達のレコードを段ボールに2,3箱は持っていた。私が知らないだけで若い頃にはもっとあったのかもしれない。

レコードの種類も実に様々。

邦楽も洋楽もごった煮の段ボールの中で、幼いころの私はちょっと変で面白いジャケットをひたすら探したりしていた。

 

父は私が小学二年生の時から中学卒業までの実に7年間も単身赴任をしていた。そして私が高専に入学し寮に入ると同時に単身赴任を終えて実家に戻っている。月に一度かそれより少ないくらいの頻度で帰省してはいたものの、私は貴重な幼少期から成人するまでのほとんどを父と過ごすことなく生きてきた。

だからこそ、父の好みを、内面を、昔を知りたくてよく分からないレコードを掘り出していた。

口数の多くない父は私が興味を持つことを喜んでくれていたらしい。

 

父は数年前にレコード音源をmp3に変換出来るプレイヤーを買い、少しずつデータを起こしている。

私は時々そのデータをもらい聴いている。

私が今もよく聴いているのが柳ジョージだ。「青い瞳のステラ 1962年 夏…」や「レッドホット ママ」、「WEEPING IN THE RAIN」などがお気に入り。

 

 

父は晩ご飯を食べ晩酌を済ませるとイヤホンを耳にはめて静かに音楽を聴いている。

無料でラジオを聴けるアプリを教えたら喜んでいた。

最近私が借りたブルーハーツのシングルベストを聴いていると興味を示してきた。ロックも守備範囲だったようだ。

 

自分が聴く音楽の好みと一致する人はなかなかいない。紹介してもされても、のめり込むほど聴くようにはならないことが多いと思う。それでも私は父を知りたくて曲を聴き始めた。父も少し私の聴く音楽に興味を持ってくれている。

ライブとかフェスとか、派手なイベントだけが音楽を共有する方法では無いのだと最近ようやく分かったのだ。

行く先を少しでも明るく

これを書き始めた時3月も上旬が過ぎていたが全く気持ちが落ち着かなかった。

進学先の研究室を訪問し、引き継ぐテーマが決まった。

今の研究室に新しく配属される後輩の引き継ぎをした。

その一環でOBと一緒に合成したサンプルの解析をした。上手くいかなかった。

実験の資料やサンプルを整理して、たくさん捨てた。むきだしのままおいてきてしまったノートとたくさんの測定データはもう少し見栄え良くできたはずだ。きっと実験を引き継いだ後輩が見ても意味がわからない部分がたくさんあるだろう。無理に退去を終わらせた感じがして、実はまだ終わっておらず卒業しきっていないような気分になる。すこしのシコリ。

 

怒涛の日々を過ごしている気がする。

ただ、わたしは根がインドアなので出かける日々があまりにも続くと心のスタミナが切れて来る。回復と称して昼まで寝ていたりする。

 スケジュール帳を覗いて空白の日が月末になるまでないことを確認すると思わずため息がこぼれる。

 

大学院進学をする不安

 

同期との会話 将来どうなるだろうなどととりとめのないようで人生に関わる話

 

修士で就職すること 拘束時間の増加 研究者の適正を感じられない自分

ついていけるだろうか

「勤務先と自宅の距離が30分以内だと病みやすい 精神的な疲れを自宅に持ち込んでしまうから」別の研究室の教授の言葉。バイタリティにあふれる人で機器類にも詳しくとても世話になった。

通学時間は1時間半 下宿する人もいる中これは長い方だろう 精神的にも忙しくなるのに前よりも混雑する電車に乗ることを選んだ 

 

卒業式が終わりバイトがない日がまとまって続いた。去年から部屋の隅にあった段ボールたちをようやく目の届かない場所に動かすことができた。

これまで平日は学校土日はバイト 部屋の片づけをまとまってする余裕もなかったのかと複雑な気分だった。

いや、もうこんなまとまった時間を取れる日はしばらく、下手をすれば2年はこないかもしれないという焦りが私を駆り立てているのだろう。

貴重な3月下旬 綺麗になった部屋で心は落ち着くがどこかとらえどころがない。心のスタミナが尽きずにくすぶっている。

心と頭の片隅に済んだ印にたくさんの線を引かれたToDoリストが浮かんでくる。まだ線に引かれていない項目はたくさんある。

 

行く先を少しでも明るく、できるだろうか。

私は愚かで、きままで、甘く、明確な指標を持っていない。それでもやるしかない。月並みだけどささやかな幸せのため。

 

ひとつ大きな諦めを

大きな諦めを受け入れた。

骨髄バンクのドナーを断ることになったのだ。

 

私は2016年の12月下旬、骨髄提供のドナー候補に選ばれたという通知が来た時からやる気で満ちていた。

持病も大病も患ったことのない私が文字通り"身を削って"誰かの役に立てることが嬉しくて仕方がなかった。

コーディネーターの方と面会もして、血液検査もクリアした。ドナーの第一候補になった。

このまま最終同意をしていれば問題なく骨髄を提供していただろう。でも、私は諦めた。

 

時期が合わなかったからだ。

患者側から希望された骨髄提供の時期は四月下旬か五月下旬だった。

提供には手術の前段階の絶食を含めて丸5日間の入院が必要だった。

 

タイミングは最悪だった。

4月に大学院入学を控え、配属先の研究室で大まかなテーマが決まり、入学後は毎日授業と研究があることが確定していた。

理系学生の研究生活において一年のハンデは大きい。他の同期はゼミをしたり論文を読んだりして一年間みっちりとテーマに関連する勉強をしているのだ。

それに私は7年もの間通った学校を離れて新しい環境に飛び込む。適応するだけで四苦八苦するだろう。

 

それでも一縷の望みを託して、進学先の教授に打診をしてみた。教授としては賛同出来ないということだった。

 

こうなるだろうということは頭の隅ではもちろん理解していた。私は人としての賢さが足りないと常々思っているが、さすがにこれくらいは分かる。

私は自分より他人を優先しすぎるときがある。自分の不利益を胸に押し込んで我慢することを美徳だとするのは間違っているのに、そのような行動をする。教授は入学後の"私"を心配して、賛同出来ないと言ってくれたのだ。

 

今日、コーディネーターの方に断りの電話を入れた。人生の重要な時期だからという理由で提供を断る人はよくいるとのことだった。

もうドナー候補からは完全に外された。大学院にいる間は忙しいだろうからと、2年間はドナー候補に上がらないようにもしてもらった。仕方ない時期が悪かった、と頭では納得しているつもりだ。

でも顔も名前も知ることの出来ない誰かの身体を、人生を助ける手伝いがしたかった。私でも役に立てるんだと喜びたかった。

多分この諦めは相当長い間引きずることになると思う。それこそ本当に骨髄提供できる日まで燻り続ける気がする。人生の中でもトップ3に入る後悔になるかもしれない。

 

若くてハキハキと喋るコーディネーターの女の人は、どうかこれからの生活を頑張ってください、と励ましてくれた。

他人の人生ではなく自分の人生に集中することを選んだ今の私は、その言葉に報いなければと改めて感じている。

あみぐるみと3Dモデリング

自己流であみぐるみを作るとき編み図を作ることは滅多にない。

基本的に細編みか長編みしか使わないしいちいち目数を記録するとすぐ集中が途切れてしまうので勢いにまかせて一気に編みあげる。

解いてやり直せることが編み物の最大の利点だと思っているのでトライアンドエラーを繰り返す。

それでも思った形に編めない時はある

パーツが全て出来ても縫い合わせたら思った出来にならなかったこともある。

 

最近無料の3Dモデリングソフトのblenderを触りはじめた。

編み図がない物を編む時に完成図が3Dモデルとしてあればかなりやりやすいだろうと思ったのだ。

今は初心者向けのサイトで勉強している。

https://i.materialise.co.jp/blog/entry/2662/

 

まだはじめたばかりで操作も覚えきれていないし精巧なモデルを作れる気はしないが

あみぐるみ作りの補助ツールとして大いに役に立ってくれるだろうと思う。

 

 

青を微分した先を見てみたい

お題「好きな短歌」

 

短歌を見ていい歌だなあと思うときはあるけれど、ずっと記憶に残っていて何も見なくても思い出せるものってあまりない。たとえ教科書に載るような文豪が作った短歌であっても。そんな中いつまでも強烈に覚えている、というか忘れることができない短歌がこれだ。

問十二、夜空の青を微分せよ。街の明りは無視してもよい

川北 天華 

 たしか初めて知ったのはツイッターまとめサイトのTogetterで、かなり注目されたまとめだったと思う。少し調べたところ、京都大学にある京大短歌という研究会の歌会が初出らしい。

一首評の記録:京大短歌

 

なぜこの短歌に衝撃を受けたのだろう。上のリンク中でも素晴らしい解説がされているが、自分の思考をダダ漏れにしてみようと思う。

 

問十二、とあるからきっと学生だろう。けれど、机にむかって試験をしているようには思えない。この語り手は実際に夜空の下にいて、誰かからこの問いを投げかけられているのだろうか。もしかしたら重要な試験が迫っていて、気分転換にひとりで散歩している最中自分に出した問題なのかもしれない。

 

夜空の青を微分した先に何があるか。夜空の青が何でできているのか天文学や物理学などを勉強すればどこかにきっと答えはあると思うけど、たぶん正確な答えを知りたいわけじゃない。あまりにも広くて飲み込まれそうな宇宙だからこそ一点を見つめたくなるのかもしれない。この短歌を見たり思い出したりするといつも頭の中で夜空を微分している自分がいるけれど、その時星の姿は浮かばない。宇宙旅行をするわけでもない。ただ漆黒にちかい青の色しか想像することができない。

 

街の明かり はどうだろう。無視してもよい、という表現。無視しなさいではない。ここからも、試験形式に見えるこの短歌が正確な答えを求めていないことがうかがえる。この明かりは実際の明かりなのか、何かの暗喩なのか。語り手が一人夜空のもとで詠んだものなら、きっとこの明かりはうるさくて邪魔だと感じているのではないか。自分に絡んでいる色んなわずらわしさを抜け出してただ夜空の青に思いを馳せる。

 

とまあ、いろんな想像ができる。一見問題形式で堅苦しくただ一つの解答を求めさせているようなこの短歌は実際ははとても柔軟で答えの道はないものだった。そのことに気づかされると思考は軽くなり、闇夜の色を想像することで気持ちは落ち着かされている。これからも好きな短歌でありつづけるだろう。