きままにひく引鉄

理系社会人 広く浅くの体現者

青を微分した先を見てみたい

お題「好きな短歌」

 

短歌を見ていい歌だなあと思うときはあるけれど、ずっと記憶に残っていて何も見なくても思い出せるものってあまりない。たとえ教科書に載るような文豪が作った短歌であっても。そんな中いつまでも強烈に覚えている、というか忘れることができない短歌がこれだ。

問十二、夜空の青を微分せよ。街の明りは無視してもよい

川北 天華 

 たしか初めて知ったのはツイッターまとめサイトのTogetterで、かなり注目されたまとめだったと思う。少し調べたところ、京都大学にある京大短歌という研究会の歌会が初出らしい。

一首評の記録:京大短歌

 

なぜこの短歌に衝撃を受けたのだろう。上のリンク中でも素晴らしい解説がされているが、自分の思考をダダ漏れにしてみようと思う。

 

問十二、とあるからきっと学生だろう。けれど、机にむかって試験をしているようには思えない。この語り手は実際に夜空の下にいて、誰かからこの問いを投げかけられているのだろうか。もしかしたら重要な試験が迫っていて、気分転換にひとりで散歩している最中自分に出した問題なのかもしれない。

 

夜空の青を微分した先に何があるか。夜空の青が何でできているのか天文学や物理学などを勉強すればどこかにきっと答えはあると思うけど、たぶん正確な答えを知りたいわけじゃない。あまりにも広くて飲み込まれそうな宇宙だからこそ一点を見つめたくなるのかもしれない。この短歌を見たり思い出したりするといつも頭の中で夜空を微分している自分がいるけれど、その時星の姿は浮かばない。宇宙旅行をするわけでもない。ただ漆黒にちかい青の色しか想像することができない。

 

街の明かり はどうだろう。無視してもよい、という表現。無視しなさいではない。ここからも、試験形式に見えるこの短歌が正確な答えを求めていないことがうかがえる。この明かりは実際の明かりなのか、何かの暗喩なのか。語り手が一人夜空のもとで詠んだものなら、きっとこの明かりはうるさくて邪魔だと感じているのではないか。自分に絡んでいる色んなわずらわしさを抜け出してただ夜空の青に思いを馳せる。

 

とまあ、いろんな想像ができる。一見問題形式で堅苦しくただ一つの解答を求めさせているようなこの短歌は実際ははとても柔軟で答えの道はないものだった。そのことに気づかされると思考は軽くなり、闇夜の色を想像することで気持ちは落ち着かされている。これからも好きな短歌でありつづけるだろう。