きままにひく引鉄

理系社会人 広く浅くの体現者

ひとつ大きな諦めを

大きな諦めを受け入れた。

骨髄バンクのドナーを断ることになったのだ。

 

私は2016年の12月下旬、骨髄提供のドナー候補に選ばれたという通知が来た時からやる気で満ちていた。

持病も大病も患ったことのない私が文字通り"身を削って"誰かの役に立てることが嬉しくて仕方がなかった。

コーディネーターの方と面会もして、血液検査もクリアした。ドナーの第一候補になった。

このまま最終同意をしていれば問題なく骨髄を提供していただろう。でも、私は諦めた。

 

時期が合わなかったからだ。

患者側から希望された骨髄提供の時期は四月下旬か五月下旬だった。

提供には手術の前段階の絶食を含めて丸5日間の入院が必要だった。

 

タイミングは最悪だった。

4月に大学院入学を控え、配属先の研究室で大まかなテーマが決まり、入学後は毎日授業と研究があることが確定していた。

理系学生の研究生活において一年のハンデは大きい。他の同期はゼミをしたり論文を読んだりして一年間みっちりとテーマに関連する勉強をしているのだ。

それに私は7年もの間通った学校を離れて新しい環境に飛び込む。適応するだけで四苦八苦するだろう。

 

それでも一縷の望みを託して、進学先の教授に打診をしてみた。教授としては賛同出来ないということだった。

 

こうなるだろうということは頭の隅ではもちろん理解していた。私は人としての賢さが足りないと常々思っているが、さすがにこれくらいは分かる。

私は自分より他人を優先しすぎるときがある。自分の不利益を胸に押し込んで我慢することを美徳だとするのは間違っているのに、そのような行動をする。教授は入学後の"私"を心配して、賛同出来ないと言ってくれたのだ。

 

今日、コーディネーターの方に断りの電話を入れた。人生の重要な時期だからという理由で提供を断る人はよくいるとのことだった。

もうドナー候補からは完全に外された。大学院にいる間は忙しいだろうからと、2年間はドナー候補に上がらないようにもしてもらった。仕方ない時期が悪かった、と頭では納得しているつもりだ。

でも顔も名前も知ることの出来ない誰かの身体を、人生を助ける手伝いがしたかった。私でも役に立てるんだと喜びたかった。

多分この諦めは相当長い間引きずることになると思う。それこそ本当に骨髄提供できる日まで燻り続ける気がする。人生の中でもトップ3に入る後悔になるかもしれない。

 

若くてハキハキと喋るコーディネーターの女の人は、どうかこれからの生活を頑張ってください、と励ましてくれた。

他人の人生ではなく自分の人生に集中することを選んだ今の私は、その言葉に報いなければと改めて感じている。