映画「日日是好日」感想
この映画を鑑賞したのは2018年11月3日土曜日。
原作は森下典子のエッセイ。
手帳に書き留めていた感想を風化させたくなくてこちらに移すことにした。
前提として、私は学生時代に同好会活動で茶道含む和文化を学んでいた。
講師の先生は学外の人で、個人で教室を構えていた50代の物腰柔らかい方だった。
とても親身になっていただいたのだが、在学中に学校の意向で同好会活動の継続が困難になった。
規模を縮小してでも継続しようと試みたが、軌道に乗せられないまま学校を卒業した。
卒業後も学びたいですと私は先生と話していたし、先生も是非とおっしゃってくださっていた。
卒業後、私は別の大学院に進学し、週末はアルバイトをしながら研究室に通う日々が続いた。
先生の教室がある場所は住処から車で高速2時間の位置になった。
先生の教室でお茶の指導を受けたかったが、
様々な事情で教室の環境が目まぐるしく変わっているらしいことを風のうわさで聞き、手を煩わせてはいけないと思っていた。
そのような状況が続くと、先生のことを意識しない時間も増えていき、
気まずさを感じながらも連絡を取れない日々が続いた。
そんな時期に鑑賞したのがこの映画である。原作はかなり前に読破していた。
以下、手帳に書き留めていた原文を出来るだけそのままにした。
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原作に沿った流れで話が進んでいく。
希林さんの武田先生は羽二重もちのようではないけれど、発する言葉は確かに武田先生だった。
黒木華演じる典子と多部未華子演じるいとこのみちこが初めて武田先生の家へ行き、天袋にかけられた字の意味を聞いた時、
「にちにちこれこうじつって読むのよ。」
という希林さんの声で涙があふれてきてしまった。
どういう感情が沸き起こったのか上手に説明することが出来ないが、
F先生への想いとか、あわただしく過ぎていく日常とかいろんな気持ちが混ざって涙になっていた。
話はともすると、静かに地味に淡々と進んでいく。
原作エッセイを読んだときはコミカル寄りだと思っていたが、映像になると少しさびしさを含んだようになる。
茶を学ぶこと、手前は私もよく知っている部分があって、少し懐かしさを感じた。
体が勝手に動く感覚を思い出した。
人生はどんどん進んでいくけれど、
そこと切り離された所にお茶はあり、
武田先生もいつもそこにいる。
家族の繋がりも薄くなり、父との別れに後悔した時も、
桜の思い出をなだめてくれるようにそばにいてくれた。
30代後半から40代になるころに、ようやく掛け軸の意味を感覚で理解できるようになる。
瀧の字に合わせて流れる滝の風景。
雨聴の軸を見て自分の中の父に礼を言えるようになる。
海の中何も言わず立つ父。現実ではないことが分かる。
雨に打たれながらありがとうございます。と叫び続ける典子。
美しいと思った。
20代の正月に手に取った戌の茶碗を40代に再び手に取る。
水屋で話していたあの時と客役として茶の間で眺める白い犬の椀。
時の流れと、再びこの時を迎えられていることの幸福でまた涙があふれた。
説明のできない感情がこんなにあふれてくる映画を初めて観た。
他人にとってはここまで涙する映画ではないのだろうか?私には特別な映画になった。
「教えてごらんなさい。いい学びになるわよ。」
「人生、ここからが、本当の始まりかも。」
柔らかな、好奇心を含んだ黒木華の笑みで映画は終わる。
キャストも音楽も含めて良かった。
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このときからおよそ2年が経過した。
大学院も卒業し、住処は高速道路で4時間の場所になった。
呆れられているかもしれないことが怖くて、確かめたくなくて、
私はまだ連絡を取れずにいる。